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ロジャー・テイラーの若い頃や年齢、結婚、息子、現在まで徹底解説

ロジャー・テイラーの若い頃から年齢、結婚や息子、現在まで徹底解説

クイーンの映画「ボヘミアンラプソディー」の放送をきっかけに、フレディ・マーキュリーだけでなくバンドの他のメンバーにも注目が集まっています。

その中でも、クイーンのメンバーであるドラマーのロジャー・テイラー(Roger Taylor)に焦点を当てます。

この記事では、ロジャー・テイラーの若い頃から現在までを徹底解説します。

ロジャー・テイラーは才能あふれるドラマーとしてだけでなく、ボーカルとしても驚くべき実力を持ち、ソロ活動やバンド「ザ・クロス」でも活躍。

結婚や子供についても興味深い情報です。

本記事を読んで、改めて、クイーンのドラマーであるロジャー・テイラーのスゴさを共感していきましょう。

 

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ロジャー・テイラーの若い頃

ロジャー・テイラーの若い頃は、どんな経歴だったのでしょうか?

ここでは、ロジャー・テイラーのプロフィールから始まり、幼少期から振り返ってみましょう。

ロジャー・テイラーの音楽に対する情熱と、その遍歴を知ることができます。

 

プロフィール

ロジャー・テイラー(Roger Taylor)は、イギリスのドラマーであり、ロックバンドクイーンのメンバーとして世界的な名声を得ています。

彼の本名はロジャー・メドウス・テイラー(Roger Meddows Taylor)です。

1949年7月26日にイングランドのノーフォークで生まれます。

身長は179cmで、スリムな体型と鋭い表現力を持っています。

彼はクイーンにおいてドラムを担当し、その独特なリズム感とエネルギッシュな演奏スタイルでバンドのサウンドを支えてきました。

 

幼少期~

ロジャー・テイラーは1949年7月26日にノーフォークで生まれ、数年後には家族とともにコーンウォールに引っ越します。

ロジャー・テイラーが音楽に興味を持ったのは幼少期からです。

なんと、8歳の頃には独学でウクレレを演奏することができるようになりました。

 

ウクレレを独学でですよ。スゴいですね。

 

また、この頃から彼は学校で当時流行していたスキッフルを友人たちと一緒に演奏していたそうです。

「スキッフル(Skiffle)」とは、1940年代から1950年代にかけてイギリスで流行した音楽ジャンルの一つです。

アメリカのフォーク音楽やブルースを基にしたスタイルです。

スキッフルは、簡素な楽器構成とアコースティックな演奏が特徴で、自家製の楽器や日用品を使って演奏されました。

若者の間で人気を博し、多くのミュージシャンがスキッフルからスタートし、後にロックンロールやポップミュージックの分野で活躍しました。

ロジャー・テイラーも幼少期にスキッフルを演奏していたという経験が、後のキャリアに影響を及ぼすことになったということです。

 

聖歌隊として活動

1960年には音楽奨学金を得てトルロ大聖堂学校に加わり、聖歌隊として結婚式やクリスマスなどのイベントで歌う機会を得ました。

当初はギターを演奏していたロジャー・テイラーでしたが、次第にその関心はドラムスへと移っていきました。

 

ドラマーとしてバンド加入

1965年には地元のシンガーのバックバンド「ジョニー・クエイル&ザ・リアクションズ」というバンドにドラマーとして加入しました。

ロジャーはボーカル兼ドラムスとして、ローリング・ストーンズやボブ・ディラン、ジェームズ・ブラウン、オーティス・レディングなどのカバー曲を演奏していました。

 

大学へ進学

その後、ロジャーはロンドン・ホスピタル・メディカル・カレッジに進学しましたが、解剖授業などが苦手だったため、2年後にノース・ロンドン工芸大学に入学し直し、生物学を専攻しました。最終的には学科の理学士号を取得しています。

そして、1968年にブライアン・メイが出した「ミッチ・ミッチェル(ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス)やジンジャー・ベイカー(クリーム)のようなドラマーを求む」というメンバー募集の広告を見つけました。

この広告をきっかけに、ロジャー・テイラーはブライアン・メイと共に「スマイル」というバンドを結成することになります。

彼がスマイル結成後に辿る道は、さらなる輝かしい成功へと続いていきます。

 

スマイル時代~

ロジャー・テイラーは広告を見て、スマイル(Smile)というバンドに参加しました。

スマイルは、ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ、そしてヴォーカル兼ベースのティム・スタッフェルの3人での構成です。

彼らはビートルズのアップル・レコードにデモテープを送りましたが、採用されることはありませんでした。

その後、アメリカのマーキュリー・レコードと契約し、1枚のシングルをリリースしましたが、あまり反響はありませんでした。

ティムはスマイルを脱退し、他のバンドに参加するために去りました。

なかなか、苦難の道をたどります。

そこで、現れたのが、フレディ・マーキュリーなのです。

この時期にフレディ・マーキュリーがバンドに加わることとなり、それが後のクイーン結成へとつながっていくのです。

 

フレディ・マーキュリーの参加により、クイーンは新たな展開を迎えることとなりました

 

クイーンが結成したのは1970年

ブライアン・メイとロジャー・テイラーは、スマイルというグループに所属していた時に、クイーンを1970年に結成しました。

フレディ・マーキュリーがクイーンに加入したのは、1970年にスマイルが解散した直後で、ロジャー・テイラーのかつての仕事仲間であったフレディ・マーキュリーが加入したことで、更に'71年2月に行ったオーディションでジョン・ディーコンが加入した時点で、クイーンを名乗り活動するようになった。

引用:https://www.hmv.co.jp/artist_QUEEN_000000000004471/biography/

 

ロジャー・テイラーはクイーンのドラマーとして知られていますが、実は彼は素晴らしいボーカリストでもあります。

 

映画『ボヘミアン・ラプソディ』でもそのシーンが描かれていますが、実際に彼は驚異的な高音を持っており、フレディ・マーキュリーよりもさらに高い声を出すことができたと言われています。

 

そのため、スタジオでのコーラスワークやライブでは、フレディが喉を痛めた際に彼の代わりに高音部分を担当することがありました。

彼の独特な声質と、聖歌隊で培った歌唱の基礎が、彼の華麗なボーカルスタイルを支えているのかもしれません。

ロジャー・テイラーはクイーンにおいて、卓越したドラミングだけでなく、独自の楽曲も提供しました。

彼はクイーン初期において、他のメンバーとは異なるロック色の強い楽曲をアルバムに収め、ハスキーな声でリードボーカルを務めました。

特に「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」などの楽曲は彼の個性が際立っています。

クイーンのヒット曲を出すのは彼にとっても遅い時期でしたが、1980年代に入ると彼自身が作詞作曲した「RADIO GA GA」が大ヒットを記録。

それ以降も「カインド・オブ・マジック」や「インビジブル・マン」など、彼のポップ路線の楽曲は連続して成功を収めました。

彼のソングライティング能力の成長とクイーン内での発言力の増大がうかがえる時期でもありました。

ロジャー・テイラーはクイーンのドラマーとしての才能に加え、驚異的なボーカリストとしても存在感が大きくなったのでした。

 

ソロ活動

ロジャー・テイラーは、クイーンのメンバーの中で最も積極的にソロ活動を行っていました。

1977年には自費で初のシングル「アイ・ウォナ・テスティファイ」をリリースし、クイーンのメンバーとしては最初にソロデビューを果たします。

1981年には初のソロアルバム『ファン・イン・スペース』を発表し、ほぼ全ての楽器を自身で演奏しました。

ソロ活動ではクイーンとは一線を画し、反核やプロテストのテーマを取り入れた楽曲やボブ・ディランのカバーなど、社会派としての路線を追求しました。

 

ザ・クロスの時代

1987年、クイーンが一時的に活動を休止していた時期に、ロジャーは「ザ・クロス」というバンドを結成しました。

ザ・クロスでは、リードボーカルとリズムギターを担当し、ダンス風の影響を受けたロック曲を中心に制作。

しかし、商業的な成功には至らず、3枚のアルバムをリリースした後、解散することとなります。

 

フレディ・マーキュリーとの別れ

フレディ・マーキュリーの死亡日は1991年11月24日です。

彼は45歳で亡くなり、死因はエイズによる日和見感染症ニューモシスチス肺炎でした。

 

再びソロへ

ロジャーは再びソロ活動に戻り、1994年には『ハピネス?』というアルバムを発表し、フレディの死後制作された静かなトーンの楽曲が収められていました。

また、同アルバムではX JAPANのYOSHIKIとのコラボレーション曲「Foreign Sand」も話題となります。

1998年には4thアルバム『エレクトリック・ファイアー』を発表し、ジョン・レノンのカバー曲も収録されました。

 

クイーン+ポール・ロジャースとして活動再開

その後、ロジャーはクイーンとしての活動を再開し、クイーン+ポール・ロジャースとしてのツアーやアルバムを発表しました。

しかし、2009年に活動を終了し、再びソロ活動に戻ります。

 

再びソロへ

ロジャー・テイラーはソロ曲「The Unblinking Eye (Everything Is Broken)」を配信限定でリリースし、2014年にはBAND AID30にシンガー・ドラマーとして参加しました。

こうして振り返ると、ロジャー・テイラーは、クイーンのメンバーとしての活動と並行して、独自の音楽活動を追求してきたのが分かります。

 

彼のソロ活動やザ・クロスでの試みは、クイーンとは異なる音楽性やテーマを追求したものであり、彼の多様な才能と表現力を示しています。

彼は常に新たな音楽への挑戦を追求し、ロック界での存在感を示し続けています。

 

年齢

ロジャーテイラーは1949年7月26日生まれなので、2023年で74歳になります。

彼の音楽キャリアは非常に長く、数々のヒット曲を生み出しました。

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ロジャー・テイラーの結婚は複数回

ロジャーテイラーは複数回の結婚を経験しました。妻の名前や、息子、娘について解説します。

 

妻、息子、娘たちについて

ロジャー・テイラーは、魅力的なルックスから若い頃から多くの人々にモテていたことで知られています。

彼の結婚について調べてみると、彼は1980年に31歳の時に最初の結婚をしました。

彼の最初の妻はドミニク・ベイランド(Dominique Beyrand)さんであり、二人の間には二人の子供が授かりました。

ローリー(Rory Eleanor Taylor)

彼らの娘であるローリー(Rory Eleanor Taylor)さんは医師として活躍。

 

フェリックス(Felix Luther Taylor)

訳:「1980年の今日: フェリックス・ルーサーが生まれたとき、ロジャー・テイラーは初めて父親になりました。 フェリックス、34歳の誕生日おめでとう!」

息子のフェリックス(Felix Luther Taylor)さんは俳優としての道を歩んでいます。

 

ドミニクとは1987年離婚

ロジャーの最初の妻であるドミニクさんは、実際にクイーンの曲「ブレイク・フリー」のミュージックビデオのアイデアを提案した方としても知られています。

1987年に彼らは離婚しています。

 

デボラ・レング(Deborah Leng)

同年の1987年、ロジャーはデボラ・レング(Deborah Leng)さんとの新しい恋愛に進みました。

彼らの間にも3人の子供が生まれました。

ルーファス・タイガー・テイラー(Rufus Tiger Taylor)

息子のルーファス・タイガー・テイラー(Rufus Tiger Taylor)さんはドラマーとして活動し、ロジャーに似たイケメンな容姿を持っています。

現在、彼は「ザ・ダークネス/The Darkness」というバンドでドラムを担当しています。

ロジャーとデボラさんは2004年に破局しています。

 

サリーナ・ポギーター(Sarina Potgieter)

その後、サリーナ・ポギーター(Sarina Potgieter)さんと2010年に再婚しました。

上の写真では「2008年の今日、ロジャー、サリーナ・ポギーター、そしてロジャーの末っ子3人は、イギリスのグッドウッドで開催されたカルティエのパーティーに出席した」と書いてありますので、サリーナ・ポギーターとは、3人の子供がいたのですね。

 

ロジャー・テイラーの私生活は、女性遍歴が豊富であることがうかがえます。

彼の魅力的な外見と音楽的な才能が相まって、彼には常に人々が惹かれるのでしょう。

 

 

ロジャー・テイラーの現在

現在でもロジャー・テイラーは、ソロ活動を行っています。

X JAPANのYOSHIKIとコラボしたり、ソロ・アルバムを発表したりと、精力的に音楽活動を続けています。

具体的に見ていきましょう。

 

X JAPANのYOSHIKIとコラボ

ロジャー・テイラーは1994年に、X JAPANのYOSHIKIの熱望により実現したコラボレーションで注目を集めました。彼らは「Foreign Sand」という曲を共作し、ロジャーが作詞とボーカルを担当しました。

 

同年、奈良東大寺で開催された『THE GREAT MUSIC EXPERIENCE '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』では、ロジャー・テイラーはこの曲をライブパフォーマンスで披露しました。このイベントは多くの人々に感動と興奮を与え、音楽の歴史に残る瞬間となりました。

 

現在

「2021年10月9日、クイーンのロジャー・テイラー は、アウトサイダーでソロ チャート史上最高の順位 そして初のトップ 10 ソロ アルバム!) を獲得しました」

 

ロジャー・テイラーは、クイーンの母体となったバンド「スマイル」のメンバーとして、ブライアン・メイと共に活動していました。

彼らはクイーンとしての成功を築き上げる前に、数々の挑戦と成長を経験しました。

フレディ・マーキュリーの死に関して、ロジャーは『rockin'on』誌の2021年5月号のインタビューで次のようにコメントしています。

「ブライアンも僕も、乗り越えるまで5年かかった。呆然としていた。90年代は僕にとっては失われた10年のようなものだ」と。彼らはフレディの喪失と向き合い、時間をかけて癒しを見つけるまでの長い道のりを歩んだのです。

彼はクイーンとしての活動と並行して、自身のアルバム『アウトサイダー』を2021年にリリース。

彼はクイーンのメンバーの中で最も早くソロアルバムを発表したことでも知られています。

クイーンとの絆を保ちながら、彼の音楽の幅を広げ続けているのです。

 

ロジャー・テイラーの若い頃や年齢、結婚、息子、現在まで徹底解説のまとめ

ロジャー・テイラーは、クイーンのドラマーとしての活躍はもちろん、ソロ活動やザ・クロスとしての試みでもその才能を発揮しました。

彼は若い頃から魅力的な外見と音楽的な才能を持ち、モテる存在でした。

結婚歴も複数回あり、最初の妻との間には二人の子供がいます。

また、後に再婚し、さらに三人の子供が生まれました。

現在もクイーンのメンバーとして活動しながら、ソロアルバムを発表し、ライブパフォーマンスを行っています。

ロジャー・テイラーは、イケメンでありながらドラマーとしての美学を持ち、多くのファンを魅了しています。彼の音楽的な旅路はまだ終わっていないことでしょう。

 

また、私の別のページでは、パーソンズのジルの若い頃についても解説していますので、合わせてお読みください。

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